年商100億円を達成したベンチャーバンク鷲見社長をインタビュー
昔「いい先生」だった「この人!」
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ベンチャー経営者や、社会で重要な役割を担っている人達のなかに、学生の頃に家庭教師や塾の講師をしていた経験を持つ人は多い。そのような人達に対して、シリーズでお話をうかがっていきます。
また、このシリーズは、特に大学生の方に読んでいただくことを念頭にして構成をしております。
取材・執筆:「いい先生ねっと」先生紹介センター代表 寺田貴久子
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「チャレンジ&コンペティション」
で切り開いたベンチャーへの道!
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テックファーム株式会社 取締役副社長 小林正興(こばやしまさおき)氏 |
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東京工業大学大学院で原子核工学を学び、91年日本(旧横河)ヒューレット・パッカードに同期トップの成績で入社。96年ハイパーネットというネットベンチャーへ転職。その会社が破産宣告を受けるその日までシステムを守りつづけた技術者仲間とともにテックファームを設立。かつての同僚だった筆者が小林氏を取材。 |
小林氏のプロフィール
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85年
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91年
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東北大学
(工学部、原子核工学科)
卒業、
東京工業大学大学院
(理工学研究科・原子核工学専攻 修士課程 修了)
卒業。
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物理・化学・生物学・法律など、あらゆる学問の要素が入った学科を専攻したかった。宇宙工学も考えたが、あえて人が群がらない原子核工学の道へ。 |
| 91年 |
日本(旧横河)ヒューレット・パッカード
入社。
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原子力関連の仕事へと考えていたが、政治的な色合いも濃い世界。技術を究めることができて、工業的成功が得られる分野で仕事をしたい、と考え外資系メーカーへ同期入社トップで就職。 |
| 96年 |
株式会社ハイパーネット 入社。 |
世界で初のインターネット無料接続サービスを開発したベンチャー企業で、「ハイパーシステム」は96年にニュービジネス大賞と通商産業大臣賞を獲得。が、その翌年に資金繰りの悪化で倒産。10億円のタンデムコンピュータのシステムを最後は120万円のPCサーバでも動かせるようにシステムを再設計しなおした、その人が小林さんである。
ハイパーネットが舞台になった本「
社長失格─ぼくの会社がつぶれた理由
」著者板倉雄一郎、日経BP社発行、は現在10万部を越すベストセラーに。
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| 98年 |
テックファーム株式会社
設立
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ハイパーネットで最後まで奮闘した技術者メンバー6人と会社を設立。社名テックファームは、多くの企業が弁護士を会社で抱えず、法律事務所(ローファーム)にアウトソーシングするように、技術コンサルティングの分野における同様の機能・役割をイメージしたもの。事務所は、表参道裏通りの居酒屋の2階からスタートした。 |
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<目次>
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全国模試20番の成績をトップにあげてほしいという中3生への家庭教師の依頼。
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───大学・大学院時代は、どのようなアルバイトをなさってましたか?
ある専門学校で社会人対象に、通産省認定の情報処理試験対策や、プログラマー養成講座などの講師のアルバイト、学習塾や予備校の講師、家庭教師や、運転代行、中華屋の出前のアルバイトまで、本当に色々しましたね。
一番印象深いアルバイトは、同じ大学の先輩から、「中学3年生で、北陸から高校受験のために東京の親戚宅に下宿して、ひたすら毎日勉強している従姉妹がいるんで、数学だけちょっとみてやってくれないか?」と頼まれてはじめた大学院の時のバイトのことですね。
───中学生で受験のために上京ですか。それはまたずいぶん気合入ってますね。
そうなんです。で、どの教科も全国模試3番前後だが、数学だけ20番ぐらいしか取れなくて、本人がすごく苦手意識が強いというので。
───全国模試20番で苦手ですか…(笑) その数学の成績を更にあげてほしいという依頼だったわけですね。
そうです。まず最初訪問した時に、指導カリキュラムをたてるため、どの教材を使うかの質問をしたところ、「使いたい教材は私のほうですでにあります。実は最近どうしても解けない問題があるのですが、今解いてもらえますか?」と、いきなり言われ、2時間、ひたすら目の前に差し出された問題と格闘することになりました。毎週、その子は高校受験の難問を必ずいくつか用意して待っていて、家庭教師をしに行ってるのに、最初から最後まで自分が机に向かって必死になって出された問題を解いてるという感じでした(笑)
───問題を与えるのではなく、与えられるのですね(笑)
2時間のうち半分は解けたけど、残り半分は「今度来る時までの宿題としましょう」と自分が持ち帰ったりして(笑) ある大手企業に雇われて、模擬試験の採点基準を統一化するためのアルバイトもしたことがあるぐらいなので、数学の問題はかなり数多く接していたほうだと思うのですが、自分だけではなく、東工大の大学院生の友人みんなが束になって考えても解けないほどの変な問題もありました。大変なアルバイトでしたが、その子に言わせれば、「私が1週間考えつづけて解けなかった問題を2時間以内に半分も解けた家庭教師は今までいなかった。すごい」と喜んでいいのかどうかわからない誉められ方をしましてね。
───それは立場が逆のような…(笑)
「今まで家庭教師は来たことがあるの?」と聞いてみたら、「上京してからすでに6人来たが、一番もった人で1ヶ月でした」と言ってました。たぶんその子から相談された問題を2時間考えて全く解けなくて、いやになって途中で投げ出しちゃう人が多かったんでしょう。引き受けた時はいつもの家庭教師のアルバイトだと思っていたのですが。
───その仲介をした大学の先輩から、今までの経緯を詳しく聞いてなかったわけですね。
そうなんです。あとでその大学の先輩と話したら、「俺が知ってるなかであいつの家庭教師で続きそうなのはおまえしかいなさそうだったから、まあ大変だろうけど頑張ってよ」と励まされて。
───去っていった6人のなかにその大学の先輩も入ってたりして(笑) 小林さんは厳しい状況にあえて立ち向かっていくタイプですからね。私立の受験問題は、たまに難問というより奇問のようなのもありますからね。
まぁ、高校受験の数学のあらゆるパターンの問題をお金もらって勉強させてもらってるような感じの1年間でしたね。それに数学の難問を解くカギは、知識の積み重ねとはちょっと違う知恵の輪をはずせるのと同じようなきっかけを感じる時があり、とても刺激を受けました。ほんとに究極のバイトでした。
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日本HPからネットベンチャーへの転職
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───大学院卒業後、日本(旧横河)ヒューレット・パッカードに就職なさいましたね。同期入社350人中トップの成績で入社されたと他の人から聞いたことがあります。たくさんの選択肢がおありになったと思いますが、外資系メーカーを選んだのには何か理由があったのでしょうか?
就職活動の一環で、会社の工場見学をさせていただいたことがあったんですが、日本HPの“不規則多品種少量生産ライン”を見学した時に、他にはないものを感じました。
日本が世界に勝る競争力をつけるためには、工業立国としての生産技術を磨くのがいいという考え方がベースにあるもんですから、その製造ラインを見たときに“これだ!”とすごく感動しまして、入社して、希望部署を聞かれた時にも、「生産技術に行かせてください」と強くリクエストしました。
───しかし会社の意向で、ICテストシステムの製品開発の仕事を担当することになったわけですよね。
はい。最初の希望はかないませんでしたが、製品開発の分野もおもしろくてすぐにのめりこみました。
───社会人1年生の頃、すでにキャリアプランを持ってましたか?
アメリカで仕事をしたいというのはずっと考えてました。アメリカ勤務の希望を会社に対しても出し続けてました。技術者の活気があるシリコンバレーで仕事をしてみたい、ベンチャービジネスにも触れてみたい、という想いはありましたが、でもあの頃、日本のベンチャーというのは発想になかったですね。
───では、なぜ企業としての知名度も規模も世界水準の会社から、ハイパーネットという日本のネットベンチャーに転職することになったのでしょうか?
最初のきっかけはあるヘッドハンティング会社の人からの電話だったんですが、その人の紹介で板倉さん(ハイパーネット元社長)に会ってみたら、すごくエネルギッシュな人で、こういうのもありなのかな、と。しばらく自分のなかでシミュレーションをたててみましたが、やって後悔するよりやらないで後悔することは、きっと取り返しのつかない後悔だろう、と思いました。転職することについて全く迷いはなかったですね。
───まわりのかたの反応はどうだったですか?
そうですね。辞めますと言ったあと、日本HP側が前から希望を出し続けていたアメリカ勤務の話やいろんなポストを打診してきたんですよ。その瞬間はちょっと惜しいかな、とも思いましたが、でもやっぱりハイパーネットに行こうという決心は変わりませんでしたね。
───それは固い決意ですね。ご参考までに小林さんにはなにか信条とか座右の銘といったものがありますか?
信条は「チャレンジ&コンペティション」です。困難を克服して競争に打ち勝ち続けて行きたいと思っています。
───なるほど!(笑) では、ベンチャーというよりアドベンチャーだった転職した先のハイパーネットの時のことをお聞かせください。 |
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ハイパーネットの倒産の時のこと
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───小林さんが転職した96年当時、ハイパーネットは世界で初のインターネット無料接続サービスを開発した会社ということで、毎日マスコミに取り上げられている状況でしたよね。
みんなよく働いてましたよね。帰りは早いときで終電。遅いときは次の日の終電(笑)
───確か小林さんは、10億円のタンデムコンピュータで動いていたシステムを数百万円レベルでも動かせるように、入社されて半年間ぐらいで、システム全体を再構築されましたよね。そのあと97年に会社の資金繰りが悪化して、リースの機材がどんどん引き上げられて。私は今でも業務用のかなり大きい荷台を見ると、トラウマのように、機材引き上げを会社の廊下で偶然見てしまった時のことを時折思い出すんですが(笑) 自分の机の横で機材が引き上げられて、会社の経営状況が手にとるようにわかるような現場だったのに、技術部全員が最後まで1人も辞めなかったというのが印象的だったのですが。
そうですね。役員がもうシステム止まってしまうよね、と真っ青になって聞いてくるたび、「いいえ、ここまで機材を持っていかれてもまだ大丈夫ですよ」と安心させて、ほんとに最後の最後、ぎりぎりまでサービスを続けるための戦略をみんなで毎日練ってましたね。でも挑戦しつづけるというのも、技術者としてはとてもやりがいのあることですから、いい経験だったと思います。
───破産申請を出す前日、会社に残っていた全社員が社長室に集まりましたよね。確か最後は10人もいなかったかしら。なかには男泣きに涙ぐんでいる人もいたことをよく覚えてますが、あの時、小林さんはどのようなお気持ちでしたか?
まあ、あの瞬間、自分の気持ちのなかの全部を、本当にすべてを失ってしまったような感じを味わいましたね。実を言うと最後の最後まで、起死回生最後の大逆転はあると信じていました。でも倒産が確定してしまって。部下に説明しながらも一番動揺していたのは自分自身だったのではないでしょうか。
───最後の4ヶ月間はみんなお給料が出てなかったですよね。そのような経済的にも精神的にも厳しい状況のなか、小林さんはいろんな会社からいい条件でたくさんお誘いがかかったと思うのですが、なぜ新会社設立というあえて大変な道を選んだのですか?
いっしょにやろう、という人がいる。ついて来るという人もいる。チャレンジがあれば、克服して大きな成果を残したいし、自然な選択でした。リース機材が半分以上引き上げられてしまう、というあの過酷な状況のなかだったから、逆に他のどこにいても得られないような技術が自分達のなかに蓄積できたんです。その技術力やお互いの信頼感や結束をバラバラにはしたくないな、と。それにいつも思うことがあるのですが、一点に作用が加わると必ず反作用が発生するように、世の中に絶対的な不幸はない、不幸と幸せとは背中合わせで、どんな出来事にも意味があると思います。
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テックファームは勉強会の多い会社?
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───大企業とベンチャーと起業と、色々経験をされた小林さんにとって、企業規模に関係なく“いい会社”とはどのような企業のことだと思われますか?
(仕事の)出来ない奴はいらない、という企業はある意味で企業としての存在価値を否定していると思うんです。潜在能力があるのに自分の力が発揮できていない人や、極端な言い方をすれば、役に立たない、仕事の出来ない、そのような人達をいかに出来る使える人間に変えていくことができるかというところに、企業価値があると思います。優秀な能力のある人を雇って、企業としての価値を増すのは簡単で、それはまた崩れるのも簡単ですよね。仮にそのような人が辞めても大丈夫なのが、“いい会社”ではないかと思います。以前にいたHPでは、HPウェイという大原則があり、その中に『環境さえ与えれば人は最大限の力を発揮する』というメッセージがあるんですが、これは自分の中でとても大切なものになっています。
───なるほど。個々の人が強いのではなく、会社として強い方が企業価値があるということですね。裏を返せば、どれほど優れた人材でも会社側の受け入れ態勢が整っていないと活かされないということもよくありますからね。「いい先生ねっと」も今後インターンシップ分野で、人と企業とのマッチング事業を展開していきます。大学生や第二新卒、専業主婦でまた社会に復帰したいと考えている方などの潜在能力を顕在化していくというのは「いい先生ねっと」のテーマでもあります。小林さんのそのお話は参考になります。
ところで、テックファームは情報システムのアウトソーシングを行う会社ですが、98年の設立当初は6名からスタート、現在は確か74名でしたよね。会社の成長とともに社員教育が重要課題になってくるかと思いますが、テックファームで、社員のモチベーションをあげるために、会社の環境づくりでなにかこころがけてらっしゃることはありますか?
テックファームでは、全社員の出席が必須になっている勉強会をしたり、経験ある社員が講師となってセミナーを実施したり、常に全員持ち回りで技術発表を行ったりしています。それは、学校での勉強だけでは得られない、事例や実証実験、様々な情報収集やトレンドになっている技術の研究など、最新の技術力を専門家として持っておけるよう、会社としての知識を全員で共有できるようにするためです。多い人は週のうち3日、会社公認・非公認の様々な勉強会に出席しているのではないでしょうか。
───そんなに勉強会をしているのですか。それほど勉強が多いとなかには嫌がる人もいるのではないですか?
それがですね。「俺はもうこの分野で学ぶものはない。俺はスペシャリストだ」と思って転職してきた人ほど、テックファームにきて、「自分はまだまだダメなんだ」ということに気付いて打ちひしがれてしまうんですよ。で、そういう人達は、もっともっと勉強しなくてはいけない、と俄然研究に励むんですね。あまりにもみんな勉強熱心なんで、もっと自信を持ってくれ、と思うこともあるぐらいですが(笑) もちろんテックファームの目指すところは研究者ではありません。会計士が目指すところが経済学者ではないのと同じで、現場主義を貫くところを原点としています。大企業に所属する技術者の知識は、どうしてもその会社が対象とする業務分野や技術に偏りがちです。テックファームでは、全員がそれぞれの専門知識を共有し、その結果、技術領域を広範にカバーできるようになり、会社として高いサービスを提供しつづけることを可能にしました。
また、システム開発をする会社では珍しいことなんですが、テックファームは技術者の派遣を100%していません。派遣をすると会社としての知識が分散しますし、単なる個人の能力の切り売りにつながります。集団として1ヶ所に揃って、その中でエンジニアがお互いに刺激しあいながら強いやりがいを感じながら成長していく、というのが我々のコンセプトです。
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大学生へのアドバイス
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───では最後に、人生の岐路にたっている大学3・4年生に何かアドバイスをお願いします。
自分の行動ひとつひとつに意味付けして行くことが大事です。「苦労は買ってでもしろ」というのは一理あると思うけど、苦労ばかりするのが良いわけじゃない。経験は次のステップへの武器です。楽しい経験も、つらい経験も、その意味をよく考えて必ず次に役立てる強い意志を持っていれば、10年後に大きな差になって出てきます。
───就職にしろ、転職にしろ、自分自身のなかで納得済みの結論だったら、その後の仕事への取り組み方も違いますものね。
そのとおりです。なんとなくではなく、まじめにきちんと考えていれば、そのあと次のステップで、自分がどうあるべきかも見えてきますからね。
───どうも有難うございました。 |
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小林氏の隠れた一面 |
小林正興氏は、Javaでゲームができるサイトが少なかった94年に、「
web四川省
」というパズルゲームを作成している。
ゲームサイトを作ろうと思ったきっかけは、Unix上で作ったゲームに職場のみんなが夢中になっていて、インターネットを利用すれば、世界中の人を相手に競争できて、もっと楽しいと思ったからだ。現在iアプリでも「
四川省
」は常にランキング上位の人気コンテンツになっている。ハイスコアはサーバ登録になっており、リアルタイムで世界記録に挑戦することができる。そのヒットの秘訣は、コンテンツそのものより、より高いスコアを出したいという人の競争心を煽りやすい仕組みにあったと考えている。
また、小林さんは、
ATOKパッチfor mule
という、フリーソフトの作者でもある。これは日本語と中国語と韓国語が混在しているようなマルチリンガルテキストを作ることができる便利なソフトである。
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小林氏へのお問い合わせ |
本人や会社への直接のお問い合わせはご迷惑がかかりますのでご遠慮ください。もしお問い合わせがある場合には、当社経由でメールを転送させていただきます。ただし返事は差し上げかねますし、その反応についてのお問い合わせもご遠慮ください。また内容によっては、転送しないこともありますので、予めご了承下さい。
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メールの件名に「テックファーム株式会社 小林様」と明記のうえ、story@11sensei.net までお送りください。
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2001.11.05 渋谷セルリアンタワーのクーカーニョにてインタビュー。
昔ハイパーネットのあったインフォスタワーを窓越しに見ながら。
取材・執筆:「いい先生ねっと」先生紹介センター代表 寺田貴久子
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