NPOフロントランナーをインタビュー
昔「いい先生」だった「この人!」
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ベンチャー経営者や、社会で重要な役割を担っている人達のなかに、学生の頃に家庭教師や塾の講師をしていた経験を持つ人は多い。そのような人達に対して、シリーズでお話をうかがっていきます。
また、このシリーズは、特に大学生の方に読んでいただくことを念頭にして構成をしております。
取材・執筆:「いい先生ねっと」先生紹介センター代表 寺田貴久子
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大学在学中に3つの会社を起業
インターンシップ事業のパイオニア
佐藤大吾氏をインタビュー
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NPO(特定非営利活動法人)ドットジェイピー 副理事長
財団法人大阪産業振興機構 大阪大学事業部門
佐藤大吾(さとうだいご)氏
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大阪大学法学部在学中に、学習塾経営や、大学生の就職活動を支援する会社などを起業。現在は母校の大阪大学のために産学連携の新潮流を目指し活動。そのかたわらNPOドットジェイピーの副理事長としても東奔西走している。2003年4月に「
オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク
」(サンクチュアリ出版)をプロデュース。
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佐藤氏のプロフィール
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| 93年 |
大阪大学 法学部 入学。 |
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大学生の就職活動についての勉強会を主催したところ、スタート時6人だったメンバーが、約3000人のサークルへと発展。そのサークル活動の延長線上で、学生を企業へ人材紹介する有限会社アウトポストを設立し、軌道にのった2年後に
株式会社シンカ
へ全保有株式を売却。また日本唯一の国会議員や市議会議員へのインターンシップの仕組みの発案者。大阪大学法学部に8年在籍の後中退。学業より会社経営におもしろみを見出してしまった8年間。
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| 〃年 |
学習塾を経営。 |
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ワンルームマンションを借りて5人の生徒からスタートした塾が、4年後には100人を超える生徒数を確保。 |
| 98年 |
有限会社アウトポストを設立
代表取締役に就任。 |
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95年に
鈴木寛氏
(当時通産省官僚、慶應義塾大学SFC環境情報学部助教授を経て、現在参議院議員・民主党副幹事長)と出会い、「いつの時代も西から動いていく、日本を変革するムーブメントがおきるのは上方からだ」という話に触発され、関西圏の学生を集めて政治や環境問題などを語る勉強会をスタート。やがて政治家や企業の人事部が参加する大きなイベントも主催するようになり、メーカーやコンピューター会社などへの学生の紹介が本格化するのに伴い、98年に法人化。社名は大阪大学経済学部教授が名付け親で、一番激しい前線基地の部隊(軍隊の前哨)をアウトポストと呼ぶことに由来しているという。
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| 00年 |
株式会社インターパーソナル
を設立
代表取締役に就任。 |
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企業を対象としたインターンシップ事業をさらに拡大するために、株式会社インターパーソナルを設立。その後
株式会社シンカ
へ全保有株式を売却し、2002年11月に代表取締役を退任。
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| 〃年 |
特定非営利活動法人(NPO)ドットジェイピー
を設立
副理事長に就任。 |
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有限会社アウトポストで、企業へのインターンシップと、国会・市議会議員へのインターンシップの二事業部制をとっていたのを議員インターンシップの事業のみ分離・独立。99年12月にNPO法が施行されたのと同時に、2000年2月にNPO法人ドットジェイピーを設立。政治に関心を持つ学生を秘書として議員事務所へ送り込む議員インターンシップ制度は佐藤さんが生みの親である。現在まで505事務所に、1024人の学生を紹介した実績を持つ。現在も副理事長として活動中。 |
| 02年 |
財団法人大阪産業振興機構
大阪大学事業部門に所属。 |
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母校の大阪大学のために、企業と大学の橋渡しをするためのTLO事業(大学保有特許のビジネス化)に参画。 |
| 03年 |
再び独立。 |
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2003年1月から大阪大学を中心とした大学のプロモーション事業を確立させるために再び独立。優秀な高校生に入学してもらうための仕掛けと、企業に対して大阪大学生を魅力ある人材と見せるための大学のブランド戦略に取り組んでいく予定。また、その他にも、ビジネスを遂行するために必要なスキルや基礎知識、業務遂行能力においてバランス感覚に富んだ人材などを評価する資格検定事業も新たに手がける予定。 |
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<目次>
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大学1年生の時から学習塾を設立・経営
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───大学生の時に学習塾を経営されたということですが、経緯についてお聞かせください。
大学に入学する前、小・中学生対象の学習塾でアルバイトの講師をしていました。ある日、中学校3年生で高校への進学の決まった生徒達が、"高校に入っても先生に引き続き勉強を教えてもらいたい"と相談にきました。その塾は高校生部門がなかったため、塾長に打診したところ、「高校生部門を増設するつもりはないので、佐藤君のほうで直接アルバイトしていいよ」と言われ、高校生だけの学習塾をはじめたのがきっかけです。
───その塾の空いているスペースを使わせてもらったのでしょうか?
いいえ、ワンルームマンションを借り、最初は5人の生徒からスタートしました。かなり順調に生徒数が増え、ワンルームだけでは入りきらなくなったため、2部屋借りて壁ぶち抜いて広めのスペースを確保し、最終的には、生徒数は100人ぐらいまでに増えました。
───大学生だと保護者の方からの信頼を得るのに、大変なご苦労があったかと思うのですが、生徒数を100人集めたというのはすごい実績ですね。きっと生徒が生徒を呼ぶという好循環があったのでしょうね。何年間そのビジネスを続けられましたか?
大学1年から、4年間続けました。大学にもよくスーツで通ってましたし、見た目はあんまり大学生らしくなかったかもしれません。
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たった6人から3000人へサークルが発展
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───学生起業家でいらっしゃったわけですが、大学卒業後はどのようにされるご予定だったのでしょうか?
大学卒業後はごく普通に企業へ就職するつもりでした。最初は就職活動も人並みにしていました。しかし、学生の目からみて、自分がやりたいことをやりたいようにさせてくれそうな会社がありませんでした。よく学生が就職したい企業の人気ランキングがありますが、人気企業でも数百人採用していたりする、果たしてその数百人のなかの一人になってしまうことが価値のあることなのかな……とも感じました。自分がやりたいことをやりたいようにさせてくれる会社を自分で作る、というのは、僕にとって、自然な流れだったかもしれません。
───なるほど、就職活動を支援するサークル立ち上げは、自分自身の就職活動への疑問もひとつのきっかけになっているわけですね。
そうですね。それに大学5年の時には、「先輩、就職活動2度目でしょう? 就職活動のやり方を教えてください」といろんな人が相談にくるようになりました。就職活動のノウハウを教えるつもりで立ち上げた勉強会が、やがて20人、30人と増えていき、最終的には3000人のサークルへ発展しました。そのうち企業からも商談がらみの話が相次ぐようになりまして、98年に法人化しました。
───大学生主催のサークルで3000人の会員数というのはかなり集まったほうですよね。佐藤さんは、いくつものアイディアを形にし、現在までに6社の会社設立に携わってこられたということですが、自分で会社を興すことに向く人、向かない人のポイントは何だと思いますか?
僕は学生起業家と呼ばれて、よく取材を受けたりもしていましたが、僕自身に特殊な才能があったわけではないと思います。唯一あるとすれば、どんなことでも行動に移す前から無理だと思ってあきらめてしまうことがない、ということです。一例をあげると、サークルの人数がどんどん増えてきた時、企業の担当者も集まってきやすいような便利な場所にアジトが欲しいと思いました。阪大(はんだい、大阪大学)はちょっと辺鄙な場所にあるんで、地の利のある足を運びやすい所といったら、大阪だとやっぱり梅田か難波にアジトが欲しいな、と考えました。その頃、ちょうどインターネットカフェが出来始めた頃で、飛び込みで社長さんに会いに行き、学生なので資金がないことを率直にお話したところ、インターネットカフェを「タダ」で使っていいよ、ということになりました。普通に考えたら無理なわけですよ。コネのない学生がいきなり頼みにいって、それもタダで使わせてください、なんて。でも行動をおこしてみたらうまくいって、まわりの人の理解も得ることができたし、人が人を呼んで政治家や官僚や企業の人事部の方などにもいらっしゃっていただけるイベントも開くことが出来ました。
───それはすごい交渉力ですね。実現したいことを明確に相手へ伝えることが出来て、その結果、協力者も得ることができたのですね。きっとたくさんの人を動かす求心力を持ってらっしゃるんでしょうね。
僕はただ、昔から、まわりのたくさんの人をまきこんで、ムーブメントをおこすことが好きなんですよ。ポジティブシンキングなところは昔も今も基本的に変わりません。自分の可能性を限定せずに、常に挑戦し続けることが大切だと思います。
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議員インターンシップの発案者
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───民間企業向けインターンシップ(学生の就業体験)と国会議員・市議会議員向けインターンシップの二事業部制の有限会社アウトポストを設立されましたね。96年にその前身となるサークルを作られたそうですが、96年というと「インターンシップ」という言葉そのものも、まだ認知度がなかった頃だと思いますが……。
そのとおりですね。企業の人事担当者の方とお話していても、こちらが"インターンシップ"と言っているのに、
「あぁ、Windowsね」とか相槌を打たれてしまったり(笑)、インターネットと混同される担当の方が結構いらっしゃいました。今から考えると笑い話のようですが、世の中で"インターンシップ"という言葉は全く認知されていませんでした。
───商材として考えた場合、あまり認知されていない仕組みを取り扱うのは大変だったのではないでしょうか?
98年度から通産、労働、文部の三省が連携してインターンシップの推進に乗り出しましたが、それまでインターンシップという仕組みは全く認知されていませんでした。しかし、その分やりがいのある仕事でした。全く認知されていないものや不人気業界を盛り上げていく、ということに僕は燃えるんです。
───あえて難しいことに挑戦することが好きなんですね。しかし一から会社を立ち上げるのは並大抵のことではなかったかと……。今まで会社をいくつか興したなかで、大きな失敗をされた経験などはなかったのでしょうか?
経済的・精神的に追い詰められてしまったというような経験は皆無ですね。立ち直れないぐらい大きな負債を抱えてしまったというようなこともないですね。それに事あるごとに助けてくれる友人や先輩がたくさんいましたから、僕はその点が非常に恵まれてました。
───佐藤さんが生みの親である議員インターンシップについてですが、有限会社アウトポストの一事業部だった議員インターンシップを2000年にNPO法人ドットジェイピーとして分離されてますね。
議員インターンシップ制度のほうは正直なかなか儲かりません。ただ、日本で唯一の仕組みですから、企業として赤字部門をそのままかかえ続けるより、NPO法人(特定非営利活動法人)として分離させて事業を存続させることを選択しました。
───NPO法人の設立は官公庁への提出書類の準備がかなり大変だと聞きますが……。
はい、そのとおりです。99年12月にNPO法が施行されたのと同時に準備をはじめましたが、NPO法人の設立を手伝ってくれる行政書士の方が当時なかなかいませんでした。そこで、官公庁への提出書類などを自ら用意しました。経済企画庁(当時)に何度も通い、2000年の2月に、5回目の申請でやっと受理されました。
───そもそもどのようなきっかけで議員インターンシップをはじめようと思われたのでしょうか?
96年に大阪府堺市の久保田暁市議会議員と出会い、私設秘書のような立場で、彼の政治活動に接することが出来ました。当時彼はまだ僕と同年代の28歳でしたが、地域住民ととことん話し合って政策提言をしていく姿を間近に見て、すごくかっこいいな、と思いました。僕のまわりには官僚志望が多く、みんな「日本を変えなくてはならない」と大議論をするけれど、議論のための議論だけに終始してしまい、現実へのアプローチがありませんでした。私設秘書として手伝っている話をまわりへしてみたら、みんな僕もやりたい、と言い出しました。議員の方へ打診すると政治を遠くに感じている若い世代に対して「自分達の活動を知ってもらう情報公開の有効なありかた」として歓迎されました。双方にニーズがあるとわかり、すぐに議員インターンシップの事業化をしました。現在まで505事務所に、1024人の学生を紹介しましたが、事業としてはまだまだこれからです。色々と手を入れていくべきところがある事業だからこそ、飽きることなく取り組んでいくおもしろみを感じます。
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今後取り組んでいくこと
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───「座右の銘」とか「信条」とか、何かこだわりを持っていることなどはありますか?
「座右の銘」というのはありませんが、自分のモチベーションをあげるためによく司馬遼太郎の本を読みます。司馬遼太郎記念館に寄付をしているぐらい好きで、司馬遼太郎の本はほとんど読んでます。
───私も司馬遼太郎の本はよく読みますが、戦国時代などの世の中が大きく移り変わる様を題材にしていることが多いですよね。
そうですね。読んでいて、時代の変遷は代替案を出さずにつぶしてしまう人が多いな、と思うことがあります。どんなことでも僕自身は常に代替案を提示する側にまわりたいな、などと思いつつ読んでます。
───いくつもの会社設立を経験され、代表取締役を務めた経験もお有りになる佐藤さんですが、「社長の仕事」とは一体何をすることだと思いますか?
社長だからといって自分自身がすべてに万能である必要はないと思います。ビジョンを描くことがうまくて、それを的確に人に伝えることが出来て、たくさんの人を上手にキャスティング出来る人が社長に向いているのではないでしょうか?
───さて、これからまた、新規事業を構想されているということですが、今後取り組んでいこうと考えてらっしゃるテーマをお差支えない範囲でお聞かせください。
「インターンシップ」という仕組みは、世の中にある程度普及しましたから、僕のなかでは仕事として充分やり遂げた満足感があります。今後は、母校である大阪大学を中心とした「大学」のプロモーション事業を確立させるために再び独立します。単に偏差値だけで大学の優劣をつける考え方は良くありません。これからの大学は明確なビジョンと魅力あるアカデミックコンテンツを掲げて、優秀な高校生を「採用する」という考え方が必要になってきます。また企業に対して大阪大学生を魅力ある人材と見せるための大学のブランド戦略にも時間をかけて取り組んでいきたいです。その他にも、ビジネスを遂行するために必要なスキルや基礎知識、業務遂行能力においてバランス感覚に富んだ人材などを評価する資格検定事業も新たに手がける予定です。「人材の輩出」にからんだ仕事を自分のライフワークとしてこれからも取り組んでいきます。
───今後もご活躍を楽しみにしております。有難うございました。
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佐藤氏の隠れた一面 |
佐藤大吾氏は、友人らとバンドを作り、1998年にボーカルとしてメジャーデビューをしている。銀座のソニータワーでライブも行い、観客動員数もかなりあったらしいが、バンドメンバー全員プロのミュージシャンになるつもりは全くなく、まもなく解散。右は今でもCD屋で売られているその頃の活躍が偲ばれる唯一のCD。佐藤大吾氏の大阪の実家と、「いい先生ねっと」代表の寺田の実家とが、5駅しか離れていないという偶然もあり、取材中、たびたび話が脱線。楽しいインタビューでした。 |
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佐藤氏へのお問い合わせ |
本人や会社への直接のお問い合わせはご迷惑がかかりますのでご遠慮ください。もしお問い合わせがある場合には、当社経由でメールを転送させていただきます。ただし返事は差し上げかねますし、その反応についてのお問い合わせもご遠慮ください。また内容によっては、転送しないこともありますので、予めご了承下さい。
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メールの件名に「佐藤大吾様」と明記のうえ、story@11sensei.net までお送りください。
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2002.11.07 四谷三丁目のJAL City喫茶店にてインタビュー。
取材・執筆:「いい先生ねっと」先生紹介センター代表 寺田貴久子
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