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  • 昔「いい先生」だった「この人!」 インタビュー
ECジャパン技術担当取締役の安川氏をインタビュー
昔「いい先生」だった「この人!」

ベンチャー経営者や、社会で重要な役割を担っている人達のなかに、学生の頃に家庭教師や塾の講師をしていた経験を持つ人は多い。そのような人達に対して、シリーズでお話をうかがっていきます。
また、このシリーズは、特に大学生の方に読んでいただくことを念頭にして構成をしております。

取材・執筆:「いい先生ねっと」先生紹介センター代表 寺田貴久子

日本IBM、マイクロソフトを経て
 現在ECジャパン技術担当取締役の
  安川洋氏をインタビュー

● ECジャパン株式会社 技術担当取締役 安川洋(やすかわ ひろし)氏
東京大学医学部卒業後、日本アイ・ビー・エムを経て、1994年マイクロソフトに転職。MSN (The Microsoft Network) プロジェクトマネージャーとして、日本最大級のポータルサイトMSNの立ち上げを手掛ける。その後、WindowsCEのプロジェクトマネージャーとして、米国本社でのコンポーネント開発やモバイル戦略などを担当。2000年7月イージャパンに設立参加。2003年7月ECジャパン取締役就任。
 (取材後、2006年2月に、アユダンテ株式会社を設立。代表取締役社長に着任。
できる100ワザ SEO & SEM 集客も売上もアップするヤフー!・グーグル対策 (インプレスジャパン)を2006年9月に出版。)

安川氏のプロフィール
85年 東京大学 入学。
学生時代のアルバイト歴は、塾講師、家庭教師、コンピューターのプログラミングなど。ワープロソフトの文書推敲機能のプログラミングや、コードレス電話のOS開発などのアルバイトをしていた。
89年 日本アイ・ビー・エム に入社
OS/2で1000人近くの開発者に対する技術支援を主にフォーラム上で行い、安川さんはそのコミュニティのなかでちょっとした有名人だった。また、車メーカー、銀行、保険、製造、電力会社などの大手顧客のOSにからむ大型システム開発案件のコンサルティングに携わる。
94年 マイクロソフト に転職
ポータルサイト MSN (The Microsoft Network) の立ち上げプロジェクトのマネージャー。その後WindowsCEのプロジェクトマネージャーとしても活躍。6年目最後の年には、NTTドコモとマイクロソフトの合弁会社の設立プランニングにも関わる。
00年 イージャパンに設立参加
マイクロソフト時代のチームメイト、大内範行氏に誘われて、イージャパンの設立に参加。2003年7月、イージャパンはイーシー総合研究所と合併。現在 ECジャパン 技術担当取締役。


<目次>
・ 小学生の頃からプログラミング
・ 出身校の中学・高校は学校全体が受験モード
・ 1000人の開発者をサポートした日本アイ・ビー・エム時代
・ マイクロソフトへの転職
・ 大学生へのアドバイス



小学生の頃からプログラミング
───大学生の頃はどのようなアルバイトをなさってましたか?

塾講師、家庭教師、コンピューターのプログラミングなど、特にプログラミングに関しては長期間携わる内容の仕事が多かったですね。

───プログラミングというと、具体的にはどのような内容のお仕事でしたか?

昔はワープロというのがありまして……、あっワープロはご存知の世代ですよね?

───ええ、もちろん知ってます(笑) 社会人になって仕事でも富士通OASISとか私は実際に使ってた世代ですね。

今はパソコンはわかっても、ワープロを使ったことない人がいますからね。あの当時、ワープロには、「てにをは」や「ですます調」をチェックする機能がまだ搭載されておらず、あるメーカーの言語研究所から与えられたアルゴリズム(プログラムの手順や方式)に基づいて文書推敲機能を開発するアルバイトを長期間してました。あと、コードレス電話のOS開発の仕事などもしてましたね。

───そういえば安川さんは小学生の頃からすでにプログラミングをしていたというお話を聞いたことがあるのですが……。プログラミングをはじめるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

最初にコンピューターに興味を持ったきっかけは画面にお絵かきをするようになったことでしたね。色々な絵を自分でかいて、そのうちそれを保存したいと考えるようになったのが運のつきでして。ごく自然にプログラミングをはじめてしまいました。トランプゲームやポーカーなど簡単なゲームは自作して、コンピューターと対戦するようなプログラムなどもかいてましたね。

───その頃パソコンはかなり高価なものだったと思うのですが、小学生の頃パソコンがご自宅にあったということですか?

いえ、家にはなかったので、パソコンショップの店頭で、店員さんの目を盗んでプログラミングをちょこちょこして遊んでましたね。

───パソコンショップのお店のなかで小学生がプログラミングですか(笑) それはすごい光景ですね。
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出身校の中学・高校は学校全体が受験モード
───塾講師や家庭教師のアルバイトもされていたということですが。

はい。20人ぐらいの受験クラスなどの塾講師をしてましたが、子供は最初半分遊びで塾にきてますからね、授業に集中させる方向に持っていくというのがかなり大変でしたね。

───そうですね。生徒を授業に集中させるのになにか工夫をされたことはありますか?

僕の場合はやる気のある人だけを対象にして、すごく丁寧に講義をするように心がけてましたね。もともとその塾はクラスのなかの学力差がかなりあるところで、レベルの高い生徒、低い生徒のどちらかにあわせること自体が不可能なぐらい学力差がありました。やる気のない遊び半分の生徒は後ろのほうに座っておいてもらって、きちんと予習もしてきてやる気のあるまじめな生徒の学力を主に伸ばすように一所懸命教えてましたね。

───生徒の学力レベルによるクラス分けのない塾だったのですか?

1学年で3クラスしかない小さな塾でしたからね。そもそも塾のシステムには限界があると思いますね。全員がそこそこ学力を伸ばしていくことが出来て、自分の興味の持つことを楽しみながら勉強できるような環境を多人数の塾で作っていくというのは難しいような気がしますね。

───確かにそうですね。最近集団塾より個別指導型の塾や家庭教師のほうが人気が高いというのもそのあたりに原因があるようですね。ところで、安川さんご自身は、中学校や高校の時はどのような環境で勉強されてましたか?

僕の場合、国立福井大学付属中学校、公立藤島高校ともに、とても教育熱心な先生がいる学校で、環境としては非常に恵まれてましたね。たとえば水曜日などは8限目まで授業があって、夜6時すぎまで学校で授業が行われてたりしましたね。

───それはまたすごいですね。

朝とかは1限目の前の0限目から授業やテストがあるときもあって、みんなわからないことは積極的に質問をするし、職員室は行列だし、勉強に対する情熱のようなものをみんな持ってて、生徒も先生も勉強することに一所懸命な学校でしたね。今振り返ってみても情熱をもって指導してくれた先生に本当に感謝しなくてはならないな、と思いますね。

───しかしそこまで長時間みんなが勉強に打ち込むというのはかなり特殊な環境ですよね。

そうですね。でも田舎だったからというのもあるんじゃないでしょうか。夜8時を過ぎると終バスが出てしまうし、遊ぶ環境もまわりに全然なかったし。今はインターネットで色々な情報を手に入れることができますが、僕らの時代は本当に閉ざされた環境の中で育ちましたから、遊ぶことを知らずにひたすら勉強してるという感じでしたね。

───そうですか。たぶん勉強がすごくよく出来て、勉強をすることそのものにおもしろみを見出せる子供にとってはいい環境だったのでしょうね。

ええ、今はどうかわかりませんが、あの頃はとにかく学校全体が受験モード一色でした。子供を勉強させる方向に持っていくのがうまいというのか、小さい頃から選抜して、教科書とかは使わずにどんどん先の学年の授業まで進んで教えていくような傾向がありましたね。

───それはたぶんついていくのが大変な子供もいたでしょうが、難しいことを教えられてもそれを吸収する資質のある子供にとってはすごくおもしろい環境だったということですね。
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1000人の開発者をサポートした日本アイ・ビー・エム時代
───ところで、就職活動の時、たくさんの選択肢がおありになったかと思うのですが、日本アイ・ビー・エムに就職しようと思われた理由は何だったのでしょうか?

大学が医学部だったので、先輩には●●病院とか●●製薬とか厚生省とかの役人とかもいましたが、プログラミングをずっとしていたので、やはり情報処理関係の仕事に携わりたかったというのがありますね。ソフトは工夫すれば比較的簡単になんでも作ることができるが、礎(いしずえ)になる核に近い部分、つまりOSを作るのは難しいということが、学生の頃から本能的にわかっていたところがあって、またなかなか関われない仕事だということにも薄々気づいていたので、逆にそれが出来るところに就職したいと思ったのが、一番の理由でしょうか。うーん、でも今考えると、アメリカマイクロソフト本社とかのほうが良かったかも。

───なるほど。でも日本アイ・ビー・エムは教育制度が充実していて、新卒ということを考えるといい選択でしたよね?

それはそのとおりですね。教育制度が充実していたというのは僕は入社してからわかったことでしたが、新人教育だけで1年3ヶ月ほどありましたからね。日本アイ・ビー・エムは基礎研修がひとつの部門になっていて、その当時は研修だけでビルひとつあるぐらいでしたから。

───それは恵まれてましたね。最初の配属はどのような部署だったのでしょうか?

最初はセグメントマーケティングという、部門全体としては商品企画をするところだったのですが、海外からの仕入れ、日本での販売方法を決めたりする色々なセクションがあるなかで、僕自身は技術サポートをする部署に配属されました。

───具体的にはどのようなことをするお仕事だったのでしょうか?

クリティカルなアカウント(重要な顧客)を対象としたコンサルティング業務でしたね。たとえば社内のSEや営業が、顧客に対して、10億円単位のプロジェクトの提案をしようとしたときに、一体どのようなネットワーク構造で、どういったアーキテクチャー(構成方式)で、基幹業務をどのように実現しようとしているのか、といった提案書を細かくチェックして、果たしてそれが予算どおりに実現可能なのか、技術的な問題点はないのか、もしあったとしたらその問題点をどのように修正していけばいいのかなど、社内の人に対するアドバイスなどもしていましたし、もちろん直接クライアントに対する訪問なども日本全国どこにでも出掛けていきました。

───主に企業ユースに対する技術サポートということですね。

はい、そうですね。車メーカー、銀行全部に、保険会社、電力会社などありとあらゆる業種の企業を相手に、OSに関する重要案件についてはほとんど関わってました。あと、僕の携わったサポートには2種類あって、ちょうど93年あたりから日本アイ・ビー・エムは企業ユース以外の一般コンシューマー(消費者)向け市場の拡大を意識しだすようになったので、その会社の方針のもと、1000人ぐらいの規模の開発者のコミュニティ(OS/2のNiftyフォーラム)をスタートさせ、そのサポートを2年間ほどしていました。

───フォーラムを組織してその運営をなさっていたということですね。

対象者としては、企業の開発担当者が多かったのですが、主にサードパーティ(第三者的に関わるここでは周辺機器メーカーやソフト制作会社など)に対する技術支援をそのフォーラムで行っていました。その当時はNiftyしかフォーラムがなかったので、Nifty内にフォーラムを作り、開発情報を定期的に出したり、開発者からの相談に答えてあげるような仕事ですね。OS/2は企業に対しては数万本売っていたOSだったし、参加無料ということもあり、周辺機器メーカーの多くがそのフォーラムに参加してくれてました。

───実際に窓口としての対応もなさっていたということですよね。フォーラムの運営というのはものすごく気を使うお仕事だったのではないでしょうか? 会ったことのない人に対する言葉遣いなどは特に気を使いますよね。

ええ。確かにそうですが、僕はパソ通マニアで、85年頃の300bps時代からやっていたので、俗にいう"おたく"にも充分対応できますね。フォーラムの運営というのはいくつかのポイントがあって、コミュニティ感をなにげに出すことと、あまり事務的な冷たい対応はしないこと、そして時にはオフ会(ネットワーク上のコミュニティのメンバーが実際に顔をあわせる集まりのこと、Onlineに対してOffということ)なども時々やったりして、ある程度の仲間意識を出しつつもそれでいてあまりべたべたしないという雰囲気づくりを心がけていましたね。

───そうですか。安川さんはOS/2のフォーラムではいい意味でちょっとした有名人だったと聞いたことがありますが、結構神経使う大変そうなお仕事ですよね。

いや、別にそんなこともなかったですよ。技術サポートはわりと簡単でしたね。技術サポートで一番大切なことは、正しい答えを的確にきちんと相手に伝えることですね。答えでないことを推測で伝えると不満が残るもので、真実さえ伝えればいいわけですから、何も難しいことはなかったですね。
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マイクロソフトへの転職
───マイクロソフトに転職したきっかけというのは?

OS/2のプロモーションのときに、基幹部門担当の一人として、写真や名前入りのパンフレットが企業向けにばらまかれてまして……。

───それはもうヘッドハンティングしてください、というようなものですね。

ええ、それに月に数本ペースで社内向けの論文を僕自身は覚書のようなつもりで書いていたんですが、それらの論文を自分の知らないどこかで読んで注目してくれてる人が世の中にはいるもので……。人材紹介会社を通して、だんだんとお誘いの電話がかかってくるようになりました。

───転職されたのは94年の秋ということですが、Windows95のブレーク前ですから、日本アイ・ビー・エムと比較するとマイクロソフトはその頃まだまだビジネス的にもブランドとしても日本では劣ってましたよね? なぜ転職しようという気になったのでしょうか?

学生のアルバイトの時の経験から、組み込みの仕事をしてみたいというのが一貫してあったのですが、よりスケールの大きい組み込みの仕事に関わってみたくなったというのが動機のひとつですね。

───転職してまもなく、MSN (The Microsoft Network) の立ち上げプロジェクトマネージャーをされたということですが、そのプロジェクトに参加することについてはご自身の希望だったのですか?

MSNというのは今でこそポータルサイトとなりましたが、はじめはあまり会社では注目されていなかったプロジェクトだったんですね。僕自身は最初別の仕事を推進していたんですが、たまたま隣の部署がMSN立ち上げチームで、なんかすごく大変そうな仕事してるな、とちょっと気になって、隣から時々僕も口をはさんだりしていました。それが95年2月頃からプロジェクトマネージャーとして僕自身が本格的にかかわることになってしまいました。

───2月というとプロジェクトの初期からかかわったということでしょうか?

そうですね。日本語版のベータ(プロトタイプ・原型)稼動にあわせてインフラづくりを整えていかなくてはならず、あの頃はインターネットではなく専用のアクセス回線を使った仕組みだったのですが、そのアクセス回線の確保などを大手キャリアと交渉したりして、とにかく大忙しでした。95年の初夏ぐらいにPeople(日本アイ・ビー・エムと三菱電機の共同プロジェクト)でコンテンツプロデューサーをしていた大内さん(現ECジャパン代表取締役会長)が入ってきてくれたので、それでやっと一息つきましたが、それまでは本当に息つく間もないハードスケジュールでしたね。

───98年からはWindowsCEのプロジェクトマネージャーもされましたね。MSNのチームからWindowsCEのチームにうつられたのはなぜでしょうか?

それはやはり組み込みの仕事に携わりたかったということにつきますね。それも日本市場だけを対象とした小さな枠組みではなく、世界のグローバルな流れのなかで、日本の要件も含めた、日本でも中国でもイタリアでもスペインでもどこでも使える新しい仕組みのものを作りだすことに携わっていきたい、という強い気持ちがあったからです。

───では、マイクロソフトのなかで仕事をしていて、すごく印象に残ったこととか人物とかいらっしゃいますか?

マイクロソフトは、会社全体として仕事の進め方がすごく早くて、決定者に行き着くまでのパスが非常に短く、ディシジョンプロセスもとにかくはやいということに最初驚きました。僕自身はたくさんの人の影響を受けましたが、そのなかでも印象に残っている人物といったら、組織全体を見る立場の外国の人で、コミュニケーション能力が高く協調的で、技術的にも非常に優秀なビジネスマンがいて、その人のことが今でもかなり印象に残ってますね。
アメリカ人には人をコントロールしようとするタイプと協調するタイプの2通りいるとよく言われてますが、マイクロソフトには頭脳明晰な切れる人も多いかわりに、人のことをコントロールしようとするタイプの人が全体的に多かったんです。僕のなかで印象に残っているその上司は珍しく協調型タイプで、ビルゲイツもその人の名前を認識しているぐらいの人でしたが、全く驕る(おごる)ところもないし、こちらが仕事上の悩みを相談したら「それはこのようにすればいいんじゃない」と非常に的確なアドバイスがすぐに返ってきたりして、一緒に働いていて楽しくて、自分自身のモチベーションもあがる人でした。
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大学生へのアドバイス
───マイクロソフトを辞めて2000年からイージャパンの設立に参加されましたが、起業をして良かったと思うことはありますか?

2000年春に、マイクロソフトのチームメイトと共に、それまで日本にはない、新しい技術開発型の会社を作ろうと、イージャパンを立ち上げました。会社を起業してからのほうが全体的に自分の勉強になっているという実感はありますね。技術的な研究の時間が少なくなったので、技術的な充実度は減ってしまいましたが、外部から吸収した情報の量が増えて、自分にプラスになっているという実感もその一方でありますから、いい面、悪い面両方あり、それがベンチャーのジレンマといったところですね。日本アイ・ビー・エムやマイクロソフトのように、潤沢な資金を与えられて何十億という枠組みのなかで自分の理想を求めて開発していく楽しみもあるけれど、ベンチャーの楽しさには、限られた資金のなかでどのように成功させるかを練っていくという全く別の楽しみがありますね。起業してからこれまで3年間で、既に企業向けにソフトウェアを開発してNTTコミュニケーションズ様など大手企業に採用されたり、それまで日本市場にはなかった新しい技術を、自ら開発して売り出していく過程全てに、CTO(技術担当取締役)として携わることになりますから、大企業とは全く違う充実感、達成感を味わうことができますね。

───安川さんは大学生の頃から大手メーカーでアルバイトをされてましたが、最後に、プロの技術者を目指す大学生が、将来的に役に立つようなアルバイトをしたいと思ったら、どのような業種・職種の会社をあたってみるのがよいと思われますか?

研究開発型ベンチャーのような会社があればおもしろいと思いますね。あと技術的に指導できる人がいるところかどうか見極めることも大切ですね。そのほかには、わりと大きめの会社で、具体的な技術的開発物件があるところでの下働きなどがおもしろいのではないでしょうか? たとえば携帯電話開発とかモバイルサービスのインフラなど、また実際にコードをかかなくてもテスティングの仕事などは膨大にあるはずですから。ひとりで何かを作るのも楽しいけどチームを組んでする仕事はもっと楽しいということに気づくようなアルバイトに出会えたらラッキーでしょうね。

───どうも有難うございました。
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● 安川氏の隠れた一面
Yasukawa.com 安川洋氏は、多忙な今でも年間10本以上のペースで、海外・国内問わずダイビングに出掛けるということでした。パラオのペリリュー島など、メインアイランドからスピードボートで1時間もかかる秘境と呼ばれるとてもきれいな風景写真などが満載のサイトを開設されております。ダイビングや海の写真が好きな方は是非チェックを。 ダイビングと水中写真 Yasukawa.com


mail 安川氏へのお問い合わせ
本人や会社への直接のお問い合わせはご迷惑がかかりますのでご遠慮ください。もしお問い合わせがある場合には、当社経由でメールを転送させていただきます。ただし返事は差し上げかねますし、その反応についてのお問い合わせもご遠慮ください。また内容によっては、転送しないこともありますので、予めご了承下さい。
※ メールの件名に「安川洋様」と明記のうえ、story@11sensei.net までお送りください。
2003.07.14 ECジャパン渋谷新社屋にてインタビュー。

取材・執筆:「いい先生ねっと」先生紹介センター代表 寺田貴久子
第4回目インタビュー
安川洋氏
ECジャパン株式会社
技術担当取締役
安川洋氏
YASUKAWA Hiroshi

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NPO(特定非営利活動法人)ドットジェイピー
副理事長

佐藤大吾氏

テックファーム株式会社
取締役副社長

小林正興氏

株式会社アルトビジョン
代表取締役社長

椎葉宏氏

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